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2023.11.24 注文住宅コラム

徳川家康生誕の地、岡崎市の歴史を解説!

 

天下を統一して戦国時代を終わらせ、太平の江戸時代を築いた徳川家康。

織田信長・豊臣秀吉と並んで「三英傑」と称される武将ですが、この三人はいずれも現在の愛知県が出身地です。

家康は2023年大河ドラマでも主人公となっていることから、その生誕地である岡崎市は観光スポットとしても注目度が高まっています。

本記事ではそんな岡崎市の歴史について、家康ゆかりの史跡や寺院を中心に解説します。

徳川家康の生涯とゆかりの深い岡崎市のスポット

現在の愛知県のほぼ中央に位置している岡崎市は、戦国時代には西の織田、東の今川といった強力な勢力に挟まれ、政治的にも軍事的にも難しい舵取りを強いられた地域でした。

そんな岡崎で生まれた徳川家康の軌跡を、市内の代表的なスポットと共に見ていきましょう。

岡崎城

徳川家康は天文11年12月26日(ユリウス暦では1543年1月31日。以下西暦はユリウス暦で記載)、岡崎城にて松平広忠の長男として生を受けました。幼名は竹千代です。

岡崎城は1547年に織田信長の父・信秀に攻略され、竹千代は人質として織田家のもとへ送られます。

その2年後、竹千代の父である松平広忠は、今川氏の援助で織田氏を撃退しましたが、竹千代は捕虜交換により今度は今川氏のもとで過ごすことになりました。

しかし1560年に今川義元が織田信長に討たれ、岡崎城を拠点としていた家康(当時:元康)は翌年に信長と和睦し三河の平定に乗り出します。

1570年には家康が新たに築いた浜松城へ移り、岡崎城は嫡男の松平信康が城主となりました。

ところがその5年後、信康の配下らが武田方と通じて岡崎城に軍勢を引き入れようと企てた「大岡弥四郎事件」が勃発。これは未然に防がれたものの家中での政治的対立の溝は埋まらず、1579年に家康は岡崎城から信康を退去させました。

その後、家康の側近の一人であった石川数正が城代として岡崎城に入城することになります。

土呂殿本宗寺・佐々木上宮寺・針崎勝鬘寺

家康の三河平定は、当地で勢力を誇っていた一向宗との衝突とも言い換えられます。

岡崎では本願寺の一族に連なる土呂殿本宗寺を頂点に、佐々木上宮寺と針崎勝鬘寺が一向宗の代表的な拠点となっていました。

1563年、家康家臣が佐々木上宮寺から兵糧を強制的に徴収しようとしたことで紛争が勃発。三河一向一揆と呼ばれる大規模な武力蜂起が発生します。

この紛争は織田家の家臣で家康の伯父にあたる水野信元の仲介で終息しますが、以降家康は三河での一向宗の活動を禁止。

三河国を平定した証として朝廷から三河守に任じられますが、清和源氏である松平姓での任官例がなかったため藤原氏の「徳川」に改名することで叙任されています。

大樹寺

1475年創建の大樹寺は松平家および徳川将軍家の菩提寺です。

若き日の家康が敗戦でこの寺に退いて自害しようとした時、住職が説得して思いとどまらせたと伝わっています。

歴代将軍の位牌は本人の身長のサイズとなっており、家康のものは159センチメートルの高さで作られています。

伊賀八幡宮

1470年創建の伊賀八幡宮は松平氏・徳川氏の守り神として伊賀から勧請され、家康も大きな戦の前には参拝して武運を願ったといいます。

家康の孫で徳川三代将軍の家光はこの神社を拡張し、祖父を神として祀りました。

江戸時代を通して家康命日の4月17日には、毎年将軍の名代として岡崎藩主が参拝するならわしでした。

松應寺

1560年に家康が父・松平広忠の菩提を弔うために創建したのが松應寺です。

家康の権威が高まると共に寺格も上がり、1632年には二代将軍・秀忠・三代将軍・家光も上洛途中に参拝しています。

家康手植えの松が東に向けて枝を伸ばす様子を見て、自身の祈りに「松が應(応)じた」と語ったことが寺名の由来と伝わります。

徳川家康の騎馬像

 

岡崎には家康の事績を顕彰して、いくつかの像が建てられています。その代表的なものを見てみましょう。

まず、名鉄東岡崎駅から徒歩1分の場所に、徳川家康の騎馬像があります。

松平から徳川に姓を改めた25歳頃の姿をかたどったもので、鎧兜に身を固め馬上で弓を携え手綱を握る精悍な様子が造形されています。

騎馬像として日本最大級といわれる銅像です。

そして、岡崎公園内には複数の像があります。

1つめは、甲冑をまとっており老齢の充実した姿で造形された家康像です。天下統一を確実なものにした時期をイメージさせます。

2つめは、家康がまだ松平元康と名乗っていた若かりし頃の騎馬武者像で、これは日光東照宮の方角を向いています。

3つめは三方ヶ原の戦で大敗し、苦渋の表情浮かべたとされる姿の「しかみ像」です。自戒の念を込めてその時の姿を絵師に描かせたというのは後世の創作と考えられていますが、家康の有名な肖像の一つといえるでしょう。

最後は、円熟期と思しき家康と、竹千代と名乗っていた少年時代の姿を並べた像です。そのバックには岡崎城の堂々たる再建天守が見え、家康の人生を凝縮したかのようなストーリーを感じさせます。

徳川家康の生き様が感じられる岡崎市を散策してみよう

 

家康が生まれ、天下統一への道を着々と歩む基盤となった岡崎市。

太平の世を願って戦った人々の記憶が、脈々と伝えられる街でもあります。

家康の足跡を辿りつつ、岡崎市に残る史跡を巡って歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

著者情報

愛知県豊橋市を中心にデザイン性の高い注文住宅を手がける住宅会社「子育て安心住宅&デザインラボ」。
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