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2023.04.25 注文住宅コラム

江戸時代には城下町・宿場町として栄えた豊橋市の歴史を紹介

豊橋市は愛知県の南部にある東三河地域の中心都市です。江戸時代には宿場町や城下町として栄え、明治時代に入ると製糸都市として発展しました。また、歩兵第18聯隊(れんたい)や陸軍第15師団の駐屯地となったことで、軍都としても発展していった歴史があります。

愛知県の南東部に位置する豊橋市は、古くから交通や通商の重要地点として城下町・宿場町として栄えてきました。明治時代に入ると、製糸都市、軍都として発展し、戦後は焦土からの復興とともに産業都市へと変化を遂げました。本記事では、豊橋市の歴史を詳しく紹介します。

豊橋市の歴史

平成11年に全国22番目の中核市に指定された豊橋市は、農業を筆頭に工業、商業とそれぞれの産業がバランスよく発展した東三河地域の中心都市です。ここでは、平成18年に市制施行100周年を迎えた豊橋市の歴史を紹介します。

1. 江戸時代:宿場町・城下町として栄えた

現在の豊橋市東部にあたる二川町は、東海道五十三次33番目の宿場町でした。江戸日本橋から距離72里余(およそ283km)(※1)で、静岡の白須賀から猿が馬場を出て三河に入る最初の宿場町となります。町並の長さは東西12町26間(およそ1.3km)(※1)、家数328軒のうち本陣と脇本陣が1軒ずつ、旅籠屋38軒、問屋場2軒と宿場としての規模は小さく、天保14年の旅籠屋数は東海道53宿場の中で36番目でした。(※2)

なお、二川宿本陣は明治3年の本陣廃止後、昭和60年に豊橋市に寄贈され、昭和62年には市史跡に指定。幾度の回収復元工事を経て、平成3年より豊橋市二川宿本陣資料館として一般公開されています。

豊橋の前身である吉田は戦国時代は今橋と呼ばれ、鎌倉街道沿いの重要な交通要衝でした。東三河の拠点の一つとして築かれた今橋城は、江戸時代にのちの播磨姫路藩主・池田輝政によって吉田城として改築され、吉田は城下町・宿場町として栄えました。豊橋の郷土料理・菜飯田楽で有名な、きく宗は、吉田宿にて文政年間創業以来、200年続く老舗としてミシュランプレートを獲得しています。

※1出典:豊橋市二川宿本陣資料館. 「二川宿史跡マップ」.http://futagawa-honjin.jp/wp-content/uploads/2018/04/futagawa_shiseki_map.pdf,  (入手日付2023-03-13).

※2出典:豊橋市二川宿本陣資料館. 「東海道五十三次」. http://futagawa-honjin.jp/wp-content/uploads/2015/07/worksheet4.pdf, (入手日付2023-03-13).

2. 近代:製糸都市・軍都として発展

明治時代に入ると吉田は豊橋に改称し、明治20年代以降は製糸都市としての顔を持つようになりました。製糸が活発化したのは、二川で玉繭から糸を引き出す技術が生まれたのがきっかけです。玉糸製糸によって豊橋は製糸都市として発展し、生繭を乾燥させた乾繭(かんけん)の取引所が設置され、それに伴い養蚕も活発に行われるようになりました。

明治時代以降の豊橋市は、冒頭でも触れたように軍都としても発展していきました。明治18年には歩兵第18聯隊(れんたい)の兵舎・吉田城跡地が建設、明治40年になると陸軍第15師団が兵舎を構え、豊橋市内に拠点を置くようになります。陸軍第15師団兵舎の敷地およそ50万坪に、兵士やその関係者およそ2万人が住んでいました。当時の豊橋市の人口はおよそ4万人だったため、第15師団の駐屯は地域経済の活性化につながった背景があります。

第一次世界大戦後の大正14年、国際協調・軍縮の流れを受け4個師団廃止が決定され、それに伴い第15師団も廃止となりました。現在、かつての陸軍第15師団駐屯地には愛知大学や南部中学校や豊橋工業高校などの学校、王ヶ崎東公園などの公共施設があり、文教地区へと様変わりしています。学校や公園内には司令部庁舎や将校集会所、師団長官舎、機銃廠、厩舎など一連の旧軍事施設が現存しており、全国でも極めて稀なケースです。

翌年昭和2年には、歩兵第60連隊跡地である三河湾に豊橋陸軍教導学校が設立、敷地内には兵舎の他4本の滑走路や整備工場などが建てられました。旧陸軍第15師団廃止以降、賑わいが失われていた町が再び軍都として活気付くようになりました。

昭和14年には豊橋陸軍第一予備仕官学校が開校され、戦後その跡地に創設されたのが愛知大学です。

3. 戦後:農業を中心に産業の街へ

太平洋戦争で受けた空襲や地震により、一度は焦土化してしまった豊橋市ですが、戦後は農業や工業、商業が大きく発展し産業の街へと変化します。

戦後、第15師団の駐屯地は文教地区として、歩兵第18連隊の駐屯地は豊橋公園と生まれ変わった一方、広大な演習地は農用地として利用されるようになりました。

昭和43年には豊川用水が通水し、演習地の一部だった高師原や天伯原は、全国有数の農業地帯となります。また、戦災復興計画都市の戦災モデル都市に指定されたことをきっかけに、復興はどんどん進んでいきます。

昭和47年には三河湾の大規模な埋め立て工事が行われ、明海臨海工業地区が誕生しました。明海臨海工業地区での自動車産業は大きく発展し、豊橋市は東三河の中心都市へと成長していきました。

時代とともにさまざまな形で発展してきた豊橋市

豊橋市は宿場町・城下町として栄えた江戸時代、製糸都市・軍都として発展した近代、戦後の痛手からの復興を経て産業の街へと変身した東三河地域の中心都市です。豊橋市には数多くの史跡が点在し、東海道宿場では2カ所しか残っていない二川宿本陣が豊橋市二川宿本陣資料館として現存し、一般公開されています。

歴史を通して、豊橋市の魅力に気付くことができるでしょう。

 

著者情報

愛知県豊橋市を中心にデザイン性の高い注文住宅を手がける住宅会社「子育て安心住宅&デザインラボ」。
愛知県豊橋市、豊川市、新城市、田原市、蒲郡市、北設楽郡、岡崎市、幸田町、西尾市、安城市、知立市、刈谷市、そして静岡県湖西市、およびその近郊と広い地域で対応しています。
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